放生寺

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江戸名所図会

江戸名所図会(えどめいしょずえ)は今を遡ること約百八十年前の江戸天保年間(1830年頃)に刊行されました。その中に江戸時代の當山を描いたものがこの「高田八幡宮其の二」で有ります。
この図会にもございますように神社境内に観音堂、本地堂(阿弥陀堂)が在り、当時の日本仏教の神仏習合(神仏の区別なく一緒にお祀りすること)の特徴がうかがえます。
明治の廃仏毀釈以前は当山住職が放生寺と穴八幡宮の一山を治め徳川将軍家とも親交厚く、付近一帯は放生寺門前町と呼ばれておりました。
平成の世になり穴八幡宮も當山も建物が新しくなり往昔の面影が失われていく中で唯一江戸時代の資料がこの江戸名所図会であります。

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名所図会逸話

この名所図会の模写をして頂いた方はインテリアデザイナーの栗原満直氏であります。
栗原氏との出会いは平成二十一年春に「先祖の一人が貴寺の住職だったようです。本圓という方は歴代の住職には居られませんか。」と云う連絡を當山に頂いたのがご縁であります。
本圓阿闍梨は今を遡ること約百八十年前の江戸天保年間(奇しくも名所図会が刊行された頃)に當山=高田八幡宮別当放生會寺十三世住職として、放生寺と穴八幡宮の一山を治め、徳川将軍家とも親交厚く江戸末期にご活躍された住職でもあります。
百八十年もの星霜を経て當山歴代住職の末裔の方にお会いできるとは思いもよらぬ事であります。
またその方に名所図会の模写をして頂けたことは正に仏縁、法縁の賜であり言葉では言い表せないご縁の有り難さと摩訶不思議な力を感じました。

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